大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和49年(う)1139号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤田一伯作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一について

所論は、要するに、原判示第三の一及び二の各事実につき、被告人は、本件事故の内容についての認識を欠いていたものであり、かつ客観的に道路交通法第七二条第一項前段あるいは後段(以下単に前段あるいは後段という。)所定の各義務を履行しうる状態になかつたのであり、また、警察官が現場に到着してからは、警察官が本件事故の実態を認識して、速やかに救護及び報告をしたのであつて、その時点において、被告人が右前段あるいは後段の義務を果す必要はなくなり、従つてその義務が消滅したものであるのに、右各義務が存在することを前提として被告人の本件行為を右前段あるいは後段に違反するものと認めた原判決は、法令の適用を誤つたものであるというのである。

そこで、所論に鑑み、記録を精査し、当審における事実取調の結果をも検討して考察すると、被告人は、本件事故後しばらく経つてから、その詳細な内容は知りえなかつたにせよ、本件衝突事故を起したことに気付き、右事故によつて自己の運転する車両の同乗者である森谷千代香を含む負傷者がでたであろうと認識したものと認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。従つて、被告人に右前段及び後段所定の各義務が発生したものといわなければならない。もつとも、被告人がその後まもなく現場に到着した警察官によつて車外に助け出されるまでは、右の各義務を尽すことができない状態であつたことは、所論のとおりであるけれども、その後は、原判決が弁護人の主張に対する判断一において判示しているとおり、被告人が右前段の義務を尽すことができる状態であつたと認められ、また、同じ理由で右後段の義務を尽すこともできる状態であつたことが認められる。

そして、警察官が所論のように、現場に到着してから直ちに被害者らの救護等の措置に着手したことが認められるけれども、右前段は、このような場合においても、右の措置が完了するまでは、被告人が自らも右の措置を講ずる義務を免除する趣旨であるとは解することができない。

また、警察官は、所論のように、現場に到着後右後段の報告事項について被告人より以上に正確に認識していたものであると認められ、被告人から右の報告を受けたとしてもその判断資料に加えるところはなかつたであろうと推測されるけれども、右後段は、このような場合においても、被告人の報告義務を免除する趣旨であるとは解せられない。もし右の場合に右の義務が消滅するものと解するならば、事故を起した車両の運転者が、客観的に所定事項の報告の必要がある場合であるのに、自己の判断でその必要がないものとして報告を怠ることが起り易くなり、その結果、警察官が被害者の救護と交通秩序の回復のために必要な措置をとるにあたつて、事故を起した車両の運転者に右後段所定の事項を報告させて、警察官の判断をできるだけ正確なものにさせようという右後段の目的が達せられなくなるおそれが強いからである。

さらに、所論のとおり、被告人は、車外に出てから直ちに警察官から待機するように指示されてパトカーに乗せられたことが認められるけれども、このことは、その間被告人が現実に右前段及び後段の義務を尽す機会が失われていただけのことであつて、そのため被告人の右の各義務が消滅したものということはできない。

そして、被告人は、警察官が被害者らの救護等の措置に従事中であり、未だ救急車も現場に到着しない時点で、右のように右前段及び後段の各義務が存続しているのに、これを怠り、現場から逃走したものであつて、明らかに右前段及び後段に違反したものというべきであるから、原判決に所論のような法令適用の誤があるとは認められない。それで、諭旨は、理由がない。

同第二について

所論は、原判決の量刑不当を主張するものである。

そこで、記録を精査し、当審における事実取調の結果をを参酌して考察すると、被告人は、昭和四二年から同四七年までの間に業務上過失傷害罪により三回、同四一年から同四六年までの間に速度違反等の道路交通法違反罪により五回いずれも罰金刑に処せられ、同四七年四月一九日には運転免許を取消されたのに、原判示第一のように無免許運転をし、途中警察官の検問に応じないで逃走中同第二の人身事故を起したうえ、同第三のようにいわゆるひき逃げをしたものである。そして、原判示第一は、いわば常習的に犯したものと認められ、同第二の被告人の過失及び結果は、ともに甚だ重大であり、同第三についても、特に酌むべき事情があるとは考えられない。被告人は、また、古く数回にわたつて懲役刑に処せられている。

右の情状に鑑みると、本件に現われた量刑の資料となるその他諸般の情状を併せ検討し、被害者小海一栄にも若干の過失があつたと窺われること、原判決の前後にわたつて全被害者と示談が成立したことなど所論の主張を含めて被告人に有利な情状を斟酌しても、原判決の懲役一年六月の量刑が不当に重いとは考えられない。それで、論旨は、理由がない。

右のとおりで、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例